保護犬カフェ
3月19日
保護犬カフェというものがある。
殺処分になりそうな犬を保護し、新しい飼い主を見つけるということをしている。
一度だけ行ったことがあるが、小型犬がほとんどで、新しい飼い主も次々に決まるようで、壁には「卒業」したワンちゃんの写真がいっぱい飾ってあった。
また、新しい保護犬も次々とやってくるようで、これが商売なら「繁盛している」と喜ぶところなのだが、決して喜べることではない。
そこへやってくる犬達のプロフィールをみると、ブリーダーから保護、と書かれていることが多い。なんらかの病気や障害、あるいは見た目の問題で、繁殖用には向かないと判断され、殺処分にまわされることになったのだろうか。いずれにしても残酷なことである。
人間は、他の命を日々戴きながらでないと自らの命を繋いでいけない。それは如何ともし難い現実なのだが、この場合は違う。これら愛玩犬(猫や他の生き物も)の命を奪うことは、人が生きていくために必須なことではない。ただ商売、より多く儲けるために必要なこと、とされているだけだ。
実際、商売面で考えると、現在の状況は「仕方がない」と言える。
障害のある犬より五体満足な犬、見た目の整っていない犬より可愛い犬、さらには生後半年より生後1〜2ヶ月の仔犬、そういう犬のほうが「よく、そして高く」売れる。
さらには犬種にも流行り廃りがあって、流行っている犬は高く売れるので、流行っているときに沢山繁殖させて売らねばならない。
他にも色々あるが、これらの状況を考えると、この状況を放置している限り、ブリーダーから殺処分にまわされる犬が減ることはあるまい。
さて、どうすればいい?
悪いのは誰だ?
儲けに走るブリーダーか?少しでも可愛い犬を選ぼうとする人か?流行りを煽るマスコミか?
どれかに規制をかけるとしよう。総論賛成、各論反対の嵐が吹き荒れるだろう。
みーんな、自分は少しでも得をしたいのだ。
少しでも多く儲けたい、少しでも可愛い犬が欲しい、そんな「自分だけはすこしでも」の積み重ねが、世の中をがんじがらめに縛っている。
その正体は「欲」。
これ、一部の人が欲を押さえたって、あんまり意味ないのよね。
また、法律で規制しても、法の裏をかいたり、抜け駆けする人が出たりすると、そういう人を見て「俺も」となる人が必ず出てくる。
「欲」を押さえることは(それも全体で)非常に難しいが、もしそれができれば、世の中は大きく変わり、きっと幸福感は今より格段に増すだろう。
ただそれは、今私たちが「進歩」と考えるものや「贅沢」することと引き換えになるだろうけど。