のフの独り言

一般人が日常感じた事、思った事を書き連ねるブログです

明治政府の宗教政策

終戦の日前後には、靖国神社を誰其が参拝した、私人だ公人だと喧しい。

これについて私見を少し。

国のために亡くなった人を追悼することは必要だと考える。

自分や自分の家族のために命を懸けてくれた人がいたら、感謝して何かしらを行うだろう、それと同じこと。だから、追悼すべきではない、という考えには反対。

ただ問題は追悼の方法である。なぜ靖国神社

 

明治になるまで、日本は統一国家ではないようで統一国家のようで、曖昧な形だった。

大和朝廷によって統一されていた古代から平安時代の日本。しかし経済の原則に負けて土地私有を認めてから各地に朝廷の力が及ばない勢力ができ、独立国のようになっていった(が独立はしておらず朝廷の権威には服する形式)。中央政府はあるけど完全地方自治、みたいなものか。それら県知事(?)の代表として征夷大将軍がいる。だが、いつの間にか県知事代表が強くなって内閣に命令を下すようになった、それが江戸末期までの日本、と私は理解している。

この段階では、国に殉ずる人はおらず、各県において鎮魂の行事が行われていたであろうから、その方式も県単位で違っていたであろう。おそらくは県知事(大名)の宗旨で鎮魂が行われたのではないか。

それが明治になり、中央政府が再統一を果たしたので変わることになる。

ここで普通であれば天皇家の宗旨による祭祀が採用されるところ。

明治になるまでは、聖徳太子が決めたように仏教が天皇家の宗旨であった。

しかし明治政府はそれを捨て、国家神道なる新宗教を作ってそれで祭祀を行う、としてしまった。こここそが問題で、この「国家神道」という「新宗教」が信仰として優れているのか否かが全く検証されていないではないか。

宗教を間違うというのは恐ろしいことで、それによる悲劇は枚挙に暇が無い。

江戸期の仏教界が堕落しきっていたことも理由にあるだろうが、今一度、なぜ聖徳太子が仏教を国家の宗教と定めたのか、というところから考え直すべきでは無いのか。そして仏教各宗派、それぞれの宗祖と呼ばれる人たちは、命懸けで宗を立てている。それぞれ主張に対立点があるのだから、ぶつけ合って誤ったものは淘汰してくべきであろう。そうして生き残った宗旨によって国家の安泰を祈り、国家のために亡くなった方々の鎮魂を行うべきであろう。

先に言っておくが、各宗祖が命懸けで立てた宗旨であるのに、他の宗旨と連盟みたいなものを組んだり、宗教会議などに参加して他宗と仲良くしているような輩は最早資格がない。なぜなら、各宗の宗祖は「この教えでなければ人は救えない!」という確信のもとに活動していたはずで、他宗でも良ければ自説を引っ込めて他宗へ入ればよいのだから。

 

靖国問題、これは日本が国家神道を中心に据えている(表向き国家としては無関係を装っているが)限り続く問題であるし、そのまま中心に据えている限り明治からの日本が百年保たずして破れたと同じことを繰り返すであろう。

大日本帝国が生まれてから破れるまで、80年弱。日本国に生まれ変わってから同じだけの時が過ぎようとしている。今、諸外国の脅威が高まっていることも、地震・豪雨・疫病も偶然ではあるまい。

国家指導者には、かつてがそうだったから、と思考停止するのではなく、今一度明治政府の宗教政策を見直し、正しい信仰をもって国の柱とせんことを切に願う。